マンダラエンディングノートを受けて、生きる…についての、考察
エンディングノートとゆうものを、書き始めました
スタエフでも喋っておりますので、詳しくはこちらを聞いて頂けたらと思うのですが
エンディングノートと遺書が、私の中でごちゃまぜになっていたことがわかりました。
あと、今回の私の大きな気付きなのですが
家で過ごす時間や、子供達、旦那さんとの時間が、以前よりも大切なものだとゆう風に、自分の中での位置付けが変化している可能性があること
子供達のことが大切で、愛していることは変わらないのですが
私とゆう生き物は、自分のやりたいことを最優先してしまう生き物なので(しかもそれが、悪性リンパ腫になって更に強固になってた)
家でのんびりしていることは、どちらかというと、閉じ込められているような感覚に近かったんですよ。
なにかをしていたい
どこかに行っていたい
できたら、自分1人で…
みたいな人だったもんで、そう言えば最近は家にいて、掃除してたり、子供達と時々あそんだりしてるなぁと….
子供達は、ほっといてもいずれは巣立っていってしまうから、今のうちにもっと一緒にいなくっちゃ ってゆうのもあるわけなんですけど
家を片付けて、ミニマムに暮らそうって思えたのは、本当に2021年に大きく変わった感覚かも。
その延長に、今回のエンディングノートを書くとゆう動機付けがあったのかもしれません。
ちぇぶらとの出会いも、大きく関わってるけど
ほんと、人生ってやつは、点と点とを繋ぐ作業ですね。たくさんの点を振り返ったり、自覚的になったりすることが、人生を味わいつくすとゆうことなんだな、きっと。
点の一つ一つは
とても小さかったり、目を凝らさないと見えないくらい薄いモノだったり、避けて通れないくらいでっかいモノもあるかもしれないけれど
その時に気付けなくても、
その瞬間には意味がなかったとしても、
振り返って繋いだ点と点との間に、急にレモン汁垂らしたみたいに炙り出されて来たりもする点があるかもしれない
なんでもないことも、
いつかの何かになるかもしれない
あなたのなんでもないことが
誰かの、いつかの、何かに、大きく影響するかもしれない
生きてるって、そうゆうことなのかもしれない